子供の頃、お隣に住んでいたお姉さんことをたまに思い出します。
お姉さんと言っても、私が4歳位で、お姉さんは20代だったと思います。
引っ越して行った家の隣は床屋さんで、ご両親とその家の長女であるその人が店に立ち忙しく営業されていました。
夏など窓を開けると、お隣と話が出来るほど近くて、ええ、昭和の30年代の話です。
私達一家はその後少し離れたところに引っ越し、お姉さんと会うことも無くなりました。
私が高校生になるころ、その方のお母さんがやって来て、縁遠く独身でいらしたその方に、どなたか良い人を紹介して欲しいと両親に頼みに来たことがありました。
小柄で、すっかり白髪になったお母さんが、いよいよ小さく見えたものでした。
腰も低く丁寧な振舞いのお母さんで、畳に額を着かんばかりに、三つ指を着いて、
どうかあの子のために宜しくお願いしますと、何度も頭を下げていたのが、今でも思い出せます。
それは昭和40年代の半ばころの事でした。
付き合いが広く世話好きだった両親は、快く引き受け、ほどなく我が家で簡単なお見合いめいたことと相成ったのでした。
ある日家に帰ると、親戚の若い女性が母を手伝いに来ていて、今日のお見合いの模様を私に話してくれました。
お相手の男性は、親戚の女性によると「あんな綺麗な顔をした男の人は、見たことが無い!」と、、、私は見てみたかったと(笑)学校だったことが残念で堪りませんでした。
それから、一~二度、二人はお会いしたようですが、あろうことか男性の方からお断りが入ったのでした。
お見合いの、断り文句の常套句である「私には勿体ないお方で、、、」というものでしたが、母はもう少し詳しく聞かせて欲しいと食い下がったようです。
そして分かったことは、お姉さんがとてもしっかりした女性で、礼儀正しく言葉遣いも丁寧で、良く気の付く女性なので、結婚したら、気が詰まりそうで、とのことでした。
お顔立ちは細面で整って、はっきりした目鼻立ちの方でしたので
決しておかめではなかったのです。(この表現が適当かどうか、、、)
それからも何人かご紹介したようでしたが、ご縁が無く結局、両親は「真面目過ぎるんだな、、、少し抜けたところがある位で、まあ女は愛嬌だな。」と父はそう申しておりました。
それから、何十年か経って、私は近くのスーパーに買い物に行くと、その人をたまに見かけるようになりました。
私も中年になっていましたが、その人はすっかり初老になり、白髪を後ろで一つに束ね、地味な服装にリュックを背負っていました。
化粧もしていない、その痩せぎすの身体からは、勝手な感想ですがある種の寂しさを感じました。
夕方のスーパーのベンチで佇むその人を、何度見かけたか。
買い物を終えても、すぐ帰らずに、暗くなるまでスーパーのベンチに座って、人の流れを見ているその人。
チクリと痛む胸の内を、姉にだけそっと打ち明けました。
二人で、「寂しいんだろうね~一人暮らしの家に帰るまでの時間をにぎやかな場所で過ごしたいんだろうね。」そうため息をつきつつ話したものでした。
姉は「私も寂しがり屋だから、一人になったら夕方はウロウロすると思う、、息子だけだから、あんたは幸せよ、構ってくれる娘がいるから。」とかなんとか、四方山話をしたものです。
その人が、スーパーのベンチにいつまでも座っている姿を何度も見かけ、そうしていつしか時が流れ、今は私自身が初老となりました。
いつの間にか、その人の姿を見かけなくなって何年経つのでしょうか。
その人のお母さんが言っていたひと言が、今になって蘇ります。
「忙しかったので、長女に頼ってしまって、、、勤めに出してやればよかった、家の犠牲にさせてしまった。」と。
姉と「彼女は幾つになったんだろう、、、もう90歳近いかしらね。」
感慨深く、しみじみと想い出を語れるのは姉妹なればこそかもしれません。