川の流れのように

日々の小さな想いをつづります。

裏山の狸の霊が憑いている、、、、

私の古い友人で、のちに小学校の教師になった女性が

ある日我が家へ遊びに来て、何か胸にぶら下げていたので、

それは何?と聞くと「お守り」だと言う。

まだ昭和50年代の初頭の事である。

 

私は早々と結婚して、確かうろ覚えの記憶では私の実家だったので

出産祝いに来てくれたのだと思う。

 

何か、ハッキリ覚えていないが、宗教に入信したというので

私はとても驚いた。

決して悩みに溺れてしまう人には見えなかったし、

何より彼女は色々な意味で恵まれていた人だったから、、、、

ああ、それは、今思えば私の見方があまりにも単純すぎた。

人の内面は傍から推し量るものでは無いのだから。

 

彼女は膝が痛くてちょっと悩んでいたら、裏山の狸の霊が憑いている、と

何方かに言われたらしい。

その狸の霊を慰めるために貰ったお守りだと!!?

そして、暫くは熱心に信心していたらしい。

勿論、幾許かの金銭は差し出したようだった。

そのお金で、良い病院を見つけて行きなさいと言いたかったけれど。

 

タヌキと聞いて大爆笑した私を母が嗜めた。

実は私の母も宗教好きだったから。

私の記憶にある限り、三つの宗教に入信したことがある。

 

神も仏も無い、が口癖の父は内心苦々しく思っていたに違いないのだが

まるで秋篠宮様のごとく「憲法」を持ち出し、宗教の自由を理由に

夫婦と言えども互いの思想的な自由を侵さず、と。

それは解るが、今振り返るとやはりお金を差し出すことに無縁では無かった様な。

自由を認めると同時に、夫婦として自分はこう思うと異議を唱えても良いのではないかと思う。

一緒に暮らす、イコールお財布は一つなのだから(昨今は違う人もいるようだが)

 

振り返ると笑える話だが、それから数年後、小商いを始めた私が店頭に居た時

三人連れの女性が店に入って来て、印鑑屋さんだという触れ込みで

印相を見てあげる、という展開になった。

人相も手相も姓名判断も、あれこれ身につけているらしい女性だったが、

名前と生年月日で、腰が悪いでしょう、と言われビックリしてしまった私に、

更に追い打ちをかけるように、アナタの祖先は武士だった、、、

刀で人を切ったり張ったりした呪いが今、子孫である私に腰の痛みが一生の病として出てきているのだと、、、、、

そこまで聞いて俄かに、その人たちに帰って欲しくなった(笑)

それから、しつこく何度も来なかった記憶があるので、

きっと、きっぱり断れたのだと思う。

帰る時に捨て台詞めいた言葉を発する時の、

三白眼の怖い目つきが妙に思い出に残っている。

脅したってダメよ、、、ww

馬鹿々々しくって、やってられないわ~~

 

あれはきっと、今、巷を賑わしている〇〇教会だったのだな、と思っている。

高そうな印鑑のパンフレットも見せられた。

 

一生のうちに何回かお誘いがあるものだ。

聞けば俺も、私もと、そんな経験がぞろぞろ出てくる。

人の弱みに付け込んではならないし、ましてやお金を吸い上げてはならないし

そこの所、みんなもっとしっかりしてよ、と言いたい。

 

まして正教分離のルールを無視して、票に結び付くならば

自分の魂まで売ってしまうなんて!

情けなさ過ぎるじゃあありませんか。

 

日本丸、いったい何処へ辿り着くのか。