あっついですね~~
洗濯物を干そうと、ベランダに出ただけで
まるでサウナに入っている様です。
古い写真ですが、流石に水の写真は涼しそうで
目からだけでも涼をお届けできるでしょうか。
少し間を空けてしまいましたが、色々ありまして忙しくしておりました。
次女の嫁ぎ先の義理の祖母が、100歳のお誕生日を無事迎えた、その一週間後に亡くなり、葬祭は既に終わりましたが
母一人子一人の姑さん夫婦はコロナに罹り、最後にも立ち会えず
通夜も葬儀にも出られずという状況でした。
ご時世で仕方のない事ですが、次女の姑さんは
どんなに歯痒い思いをしたことでしょうか。
昭和17年に結婚したお祖母ちゃんは、
お腹に子の居る時にご主人を戦争に見送りそのまま戦死なさり
翌、昭和18年生まれの姑さんは、父親の顔を知らないまま
二人で片寄せ合って生きて来られたとお聞きしています。
次女が結婚したばかりの頃、お婆ちゃんに苦労話を幾度か聞く機会があり
その度に涙、涙だったと、娘から聞いておりました。
二人で手を取り合って泣いている姿を見て
あちらのご家族は「また二人でやってるよ~(笑)」と。
きっと温かい笑いだったのかと思っております。
お祖母ちゃんの話で忘れ難いのが、
「夫の居ない私を、姑さんはとても大事にしてくれて、心の綺麗な人だった、、、
ボロは着てても心は錦、と教えて貰ったよ。」と。
そんなお祖母ちゃんは、私の目から見ても
とっても明るくチャーミングな人でした。
娘宅に行ったときに、お祖母ちゃんが来ていて、
帰る時に私が車で送って行くと申し出たら、
「my・ベンツがあるから大丈夫!」(笑)と、
お年寄りの手押しのバギーを指差したものでした。
「もう、ダンナの顔も忘れちゃった。」と。
それはそうでしょうね、、、、一年も一緒に暮らせなかったようですから。
あの戦争の記憶を持つ人たちが、だんだん少なくなってきました。
お姑さんは、お祖母ちゃんが結構な歳になってからは
毎年8月15日に靖国神社へ詣でていたようですが、今年は無理でしょうね。
お義母さんももう、79歳ですから。
こうして何かまた、一つの時代が終わったのだと感じています。
お祖母ちゃんは、あちらで若いままの旦那さんと会えたでしょうか。
老けたね~~でも目は変わっていないね、なんてね。
戦後の苦労話を、沢山たくさんして居る頃でしょうか。
先週末のお馬の結果は、次回また。