10年前の7月は、まだ心を病んでいた頃だった。
知り合いで「鬱の薬が切れると怖いのよ。」と言っていた人と
散歩の途中で出会って、本当に久し振りに道端で話し込んだ。
それがもう10年前の事だった。
その日の事はよく覚えていて、彼女が鬱の薬を飲んでいるのは知っていた。
最近具合はどう?と聞くと、薬が頼りの生活なのだと言うので
自分の事を棚に上げて心配したものだった。
私も調子が今一で、、、と言うと、眠れる?
食欲は?と聞いてくれた。
お恥ずかしながら、ぐっすり眠れるし、食欲も絶好調。
大笑いされた。
それは貴女、鬱じゃないわよ~~(笑)と。
確かに彼女は10キロ以上痩せた。
私もね、心臓を手で鷲摑みにされるような痛みを実際に感じるのよ。
心筋症では無いのは確かよ。
ドクターにかかっているもの、聴診器当てても何も言われないし
たまに心電図も検診の時に撮っているし、、、、、
薬は飲まずに自力で治す、とその時宣言した。
彼女は依存性があるから自力でと思えるなら、その方が断然いいわよ。と。
で、薬を飲むとどういう状態になるの?と聞くと
飲むとね、パア~~っと目の前が明るくなって、いわゆる多幸感に包まれるのよ。
何でも出来そうで、ぐうたらしてしていたのが、せっせと立ち働ける気分になるのよ、って。
そして薬が無くなると、やたら涙が零れて、嫌な事ばかり思い出して暗くなって抜けられなくなるのよ。
薬を沢山貰うと、心からホッとするの、って。
その話を聞いて怖いなあとつくづく思った。
藁にも縋る思いで薬を短期間使うのなら良いが、常習性があるのは怖い。
でも困ったことに、依存性はある様だ。
あれから10年。
大好きだった花の手入れも出来ず、ベランダから荒れ果てた庭を眺めては
逃げるように、雨の日も晴れの日も車を走らせた。
海を眺め、花の咲くところへフラフラ行っては、カメラを向けた。
風に吹かれて、風にそよぐ木々の葉を眺めては
いつの間にか少し気が晴れていたあの頃。
まだしなければならない事があり、夕飯の支度だけは這ってでもしていたものだ。
10年前の花の写真です。
アガパンサスが街路樹の下にどこまでも涼し気に咲いて、
とても素敵な7月の住宅地の道路でした。
こんな花に癒され、いつの間にかすっかり元の自分を取り戻していました。
自然の力は偉大ですね。
そして、人は忘れるという技を身につけているらしい。
前向きにという言葉がいつの間にか嫌いになっていた。
どっちを向いていようといいじゃないの。
死ぬときにしたい事は大方したよ、と言う状況で死にたいが、どうなります事やら。
好きな事が出来る幸せ、ものを食べて美味しいと感じられる幸せ、
大笑い出来る事、日々の小さな嬉しい事、そんなささやかな出来事が幸せだと思えて、
過ごしていけたら最高なんじゃないかな。
10年経ったら、朝顔の団扇はもう無い事に気付いた。
すっかり忘れていた。
この世には忘れることの幸せもあるということ。
自分が誰なのかは覚えていたいが(笑)