亡き父は白洲次郎の真似をして
遺言に「葬式不要、戒名不要」と書いた紙を、私たち夫婦に渡したものだったが、
15~6年ほど前のその頃は、私たちは現役でバリバリ仕事をしていたのもあり
人との交際も多く、親戚も多く、折角の父の遺志を実行できず
普通に葬式をしてしまった。
(してしまった、という表現をするのは私の後悔の表れでもある。)
昨今、コロナの中での葬儀の形は大きく変わっているのを、
密かに良い事だとじ感じている人は私だけではないようだ。
駅の近くに大きくそびえ建つ葬儀場は、
数か月間一度も葬儀は行われていないのがずっと続いている。
市の斎場で安くできる事を、みな学んできたから。
親しい知人は、彼の父親が亡くなった時に、
言われるがままにあれもこれもしなければならないのかと思って、
ドタバタの中、ウンウンと適当に頷いてしまったら(しっかりしなさい!と叱ってくれる人も周りに居ず)請求書の金額に倒れそうになった!と言っていた。
500万円を超える金額だったとか!
そこは抗議して、少し減らしてくれたようですが、、、、
我が家もドタバタの中、しっかり者の姉が隣で「それは要らないでしょう、それも、、、」と言ってくれて、それでも200万円強の支払いでした。
親類も多く、交際も多かった両親でしたから、
それ以上のお香典を戴き、それで賄えましたが、
私たち夫婦の代になったら、その交際もぐっと少なくなりましたので、
地味に、地味にしたいと、二人で話合っています。
或る意味、コロナのお陰に感謝しています。
日本は神の国で居たのが長かったのが、
仏教の布教でその仏教も政治と結びついたりした時代を経て、
ある意味「寺」が、住民台帳の様な働きをした時代もあったけれど
現在は果たして寺の存在はどうなんだろう?と。
我が家のお寺さんの住職は、大変欲の無い人で、
お布施の額をお伺いしても、笑顔で腰も低く
「ええ、ええ有難うございます。はい、お気持ちだけで結構です。」と
言ってくれるお方ですので、檀家を離れることになかなか行動を起こせずにます。
巷間聞くところによると、寺の改修で、
檀家一軒あたり数十万円から、家の格によっては100万円単位の出費を要求されるのはキツイものが有ります。
我が家は、このような事は今の所ありませんが、、、、
若い人の檀家離れは、もう止めようが無くなってきている様に思います。
時代は大きく変貌し続けるものですから、仏教の在り方も、葬儀の在り方も、
大きな曲がり角を通過中なのでしょう、日本は。
今この日本で起こっていることの「闇」は、一体何なのでしょう。
国民、庶民、昔はパンピーなんて流行語もありましたが、
その一般庶民は、見えて居なくは無いのです。
政治家が思うより、みんなもっと賢いのです。
そして、賢くなりましょう。
感情論と冷静な思考は、離して議論するべきでしょう。
戒名も従来の様な葬式も要らないと、
夫婦とも親子共々確認しておきたいと思っています。
地味で安価な音楽葬で、家族だけで笑ったり泣いたりしながら見送って欲しいと思っています。
さあ、自分の気持ちが決まったら、
葬送の曲は何を流すのか、選んでおかなくちゃね。
ちょっと楽しみな自分がいます。