川の流れのように

日々の小さな想いをつづります。

里山散歩&京都記念のエフフォーリア

京都記念は、エフフォーリアを軸と思い込み買っていましたので

4コーナー辺りから失速してしまい、何があったのかとガッカリしましたが

レース中に心房細動を起こして、それ以上走れなくなってしまったとの事でした。

 

レース序盤、良い位置に居て、これなら行ける!!と思ったものですが、

生き物ですから、何が起こってもアクシデントは仕方のない事ですね。

 

ひきつった顔の武史君もショックだったでしょうけれど、

でも、エフフォーリアが無事でいてくれて良かった、それが何よりです。

 

さて、流石に2月に入るとまだまだ寒い日は多いけれど、思いがけず暖かい日もあり

歩くことを心がけています。

 

先日、いつもの公園ではなく少し足を延ばして、あそこを歩きたいと提案した場所があります。

ダンナはよく知らない道なので、へえ??と思ったようですが知っている場所と繋がったようで、楽しい散歩だったと。

 

いつも歩く公園の展望台から下を眺めると、あの池の土手の下には

整備された公園があり、綺麗なトイレも駐車場も昔からあり、安心な場所です。

池よりあの集落は低い位置にあります。

 

春になると山桜が霞むように点々と咲き、私はこの風景が大好きです。

 

駐車場から、集落の中の道へと入って行くと、長屋門のある立派な家や

蔵の健在する家やら、道端のたんぽぽを見ながら歩くのは

これはこれで、とても楽しい道中です。

 

タイムスリップしたような感覚もあり、遠く亡き母や若かりし頃の父の顔を思い浮かべながら歩きました。

 

結婚したてに母だけが短期間、この地に住んだことがあると聞いたことが有りました。

父はまだ警察学校の学生だったのです。

酒好きの怖い舅と、口うるさい姑と小姑のなかに、ポツンと一人、

我儘一杯に育った母の口から、切ない思い出として聞かされたことが有りました。

 

晩年、この公園に二人を案内した折に、こんなに立派な公園になって!と驚かれ

春のひと日、桜の中をそぞろ歩いたことがありました。

 

集落を抜けて次の集落へ行く途中、いつのモノなのか、

手掘りの隧道がありました。

ダンナは「いいねえ!」と目を輝かせていました。

 

田んぼ道を歩くと、第一村人、第二村人とすれ違います。

犬の散歩や、畑の帰りなどなど、、、、「こんにちは~。」と明るく挨拶します。

部外者は決して危害を加えたりはしませんよと、何気なく伝えます。

 

皆さん、気持ちよく挨拶を返してくれます。

 

この地にかつて30数年前まで「獅子舞」が伝統芸能として伝えられていました。

楽曲も踊りも口伝で、一時間を優に超す壮大な舞でしたが、

遠縁の兄さん達を最後に、絶えてしまいました。

 

こちらの大きな家が、雄獅子を舞った人の家。

こちらの蔵のある家が、雌獅子を舞った人の家。

ダンナと古い記憶を辿りながら歩きました。

 

歩き終えて、「この散歩道は良かったねえ、、、また歩こうよ。」と

すっかり気に入ったようです。

 

修行の様にアスファルトの上をひたすら歩くのは辛いけれど

でこぼこの道でも、小さな花を見つけながら、

昨今開発された同じような家々の続く道を歩くより、

ちょっとタイムスリップしたようで楽しい。

 

春になれば花散歩がまた楽し♪